上田市大字殿城字北屋敷に位置し、群馬県安中市にある曹洞宗通幻派桂昌寺の末寺である。
本尊は釈迦牟尼仏(本造)、左に文殊菩薩、右に普賢菩薩を脇士としている。
寺伝によると天正3年(1575年)3月、矢沢薩摩守綱頼(真田幸隆の弟)が当寺を創立、寺領10貫文を寄付し
大安山良泉寺と号し、菩提所とした。
そして天正8年9月、桂昌寺五代の住僧玄廓大和尚を迎えて開山とした。 これより先、
当地に十貫山広沢寺と称せし小字があり綱頼がこれを拡充整備して当寺を創せしともいう。
矢沢氏は諏訪神氏系にして古くから県下屈指の豪族で、いにしえより当地方の生産源である滝の
湧水をふまえてこの地方を支配しており、戦国期に及び、同じくこの地方の名族真田幸隆の
弟綱頼が矢沢氏を継承したという。 これは当寺に伝わる良泉寺系図及び寺領寄進古文書がこれを証している。
元和8年(1622年)矢沢氏は真田氏について松代に移り、寛文9年矢沢仙石氏が領主となり
当寺を菩提所とした。矢沢仙石氏は上田城主仙石忠政の子で政俊の弟の政勝をその祖とする。
寛文9年(1669年)政俊が隠居する際に、その領地6万石余の内2千石を政勝に分知することを
願い出て許可されたのが仙石分知矢沢領のはじまりである。その後は矢沢・下郷・赤坂・岩清水・漆戸・小井田・林之郷の内(約半分)
の8ケ村であった。領主の館としての陣屋は矢沢におかれたが、旗本である仙石氏は江戸に常住し
知行所へ来ることはほとんどなく、代官をおいて支配した。大名であった本家の仙石氏は宝永3年(1706年)
出石に移封されたが、その分地の旗本仙石氏による矢沢領支配は明治までおよんだ。
|